瞑想

クロの瞑想バイオグラフィー

今日は私の瞑想のバイオグラフィーを書きたいと思います。あくまで私の視点での出来事ですが。長くなります。

1991年 ハワイの秋頃。毎日ウィンドサーフィンとサーフィンに明け暮れていた私に知人から電話がありました。

知人:くろちゃん、英語できるんだから通訳できるんじゃない?

私:なんの通訳?

知人:なんでもチャネラーらしい

私:チャネラーって何?

知人:なんか喋るらしい。

よくわからないまま次の日そこの家に行って会うことに。

そこに来たのはボブという人だった。なんでも日本からツアーが来たり、電話でのセッションがあるので通訳してほしい、必要になったら電話するから。ということだった。

しばらくして電話あり。ボブの家で、電話のセッションをすることになる。その時代は普通の家電話だったので、家の電話機を総動員し、彼が1つの受話器、私がもう1つの受話器を持ち日本の人と喋るのであった。何を話してるのかさっぱりわからなかったけど、とにかく話した。途中で、ボブが仁王立ちになって話し始めたりするとこっちまで緊張し、終わったら身体中汗びっしょりになっていたのを覚えている。日本から電話してきた人は感激して終わったので、いい仕事をしたのだな、と思った。

またしばらくして今度は日本から男性1人勉強しにくるという。一体何の勉強かしらと思いながらも、私がその人をホテルでピックアップし連れて行く。道中その人は私にボブさんは凄いんだ!ボブさんは凄いんだ!というので何が凄いの?と聞いた。説明してくれたはずだけど何もわからず。その日は終わる。

次の日、瞑想を習う段取りとなり、やはり朝から彼は興奮し、今日はマントラをもらうんだ、マントラをもらうんだ、という。マントラって何?と聞いたけどよくわからなかった。わからないまま、私も一緒にそのマントラというのをもらった、はずだった。帰り道、また私は聞いた。マントラって何?と。すると彼は、さっきもらったじゃない、といった。私にはそんな記憶がなかった。

気になったのでまた次の日もマントラってなあに?と聞いた。説明してくれたけど、またもやわからずじまい。そのまま毎日マントラと思って瞑想をする。

多分1992年頃。日本からツアーというのが来た。10人くらいだと思うけどきた。そしてボブは私に、私と似たような人が来るから参加したらいいと思う、というので参加した。でも一体私のどこにこの人たちが似ているのかさっぱりわからなかった。

その時は通訳は日本から来てたので私は一緒に勉強してたはずなんだけどさっぱりわからないことだらけ。頭の中は???でいっぱい。

途中から通訳が声が出ないといい私と変わる。私が前で話し始めると、その人後ろから大きな声で訂正を入れてくる。なんだ、声出るんじゃん!自分でやれよって思った。

そのあとのツアーだったと思う。次の段階の瞑想テクニックを習うことになった。通訳をやっていたのでその現場に何度も立ち会い、(その頃はボブはせいぜい1度に2−3人づつ教えていた。)私もまたマントラをもらう。そして初めてマントラを意識した! そうか、これがマントラというやつだったんだ。このこそっと耳元で言うやつだったんだ。じゃあ最初のマントラはなんだったのだろう?とまた疑問が出た。

1993年、1994年頃は日本に一緒にボブのツアーに通訳として参加し、そのあたりでタイに2週間のツアーもあった。そしてボブはタイに引っ越していった。

1995年頃、ボブ初のティーチャートレーニングコース、タイのチェンマイで開催。日本から数人が参加するので私も呼ばれていく。アメリカからは15−6人だったと思う。約1ヶ月、ホテルにこもって瞑想三昧。昼間は講義があるが、瞑想だらけ。その頃は、テープレコーダーしかなく、しかもボブが持ってた1台しかなく、それにプージャを録音してたので、後半1週間の間で、一人1日あるかないか、その機械を借りて必死で言葉、歌を覚えた。動作も覚えなきゃいけない。最後の追い込みって感じ。必死の業だった。最終日の前の日、その日は最後の仕上げでプージャに関して質問があれば受け付けると言ってたのだが、私はバタンキューと倒れてしまった。具合悪くて動けなくなった。みんなには申し訳なかったが寝てた。講義が終わってみんなが部屋に来てくれた。色々疑問を晴らせたようでその報告をしてくれ、私にとって初めてとなるヒーリングというのをやってくれた。手をお腹に当ててくれてエネルギーを送ってくれるのだが、そのたびに気持ち悪くなってはいた。吐いて気持ちよくなっていった。不思議な感覚。

次の日いよいよ最終日。プージャが無事できれば先生になれる!緊張の瞬間。記念すべき時。気分良く始まり無事終了。晴れて全員先生になる!第1期の先生たち誕生!

しかしすぐにボブの離婚でアメリカの先生たちは空中分解してしまう。日本の先生たちは置き去りになった。

1996年、一人で1ヶ月の瞑想をしにタイのボブの家に泊まる。そこでウィリーに会う。ウィリーも先生だったが、遊びできてたので瞑想を寝ずにやってたのは私だけ。毎日瞑想し、お昼は差し入れてくれる、夜はどこかに食べに行き、その帰りにヒーリングのお寺サラーに毎日行く。そこで大昔から伝わるヒーリングを習い始める。しかしそう簡単にはいかない。ボブもそこに通って何年にもなるがまだ1人前でない。タイ人の生徒さんもいっぱいいて、その人たちに混ざって学ぶ。毎晩行く。

1997年、また一人1ヶ月長期瞑想とヒーリング学ぶのツアーを。ボブの家をねぐらにする。毎晩またサラーに出かけて習う。デバラングイジというのをやっと習う。その晩帰ってきてから、ボブの家の仏前でボブとウィリーがヒーリングのやりっこを始める。私にはデバラングイジを練習しろという。へー、と思ったけど仕方ない。2人の前で一人で大きな声で始めたら、ウィリーもつられてやり始めた。単に恥ずかしかったワイワイ。

1998年。また一人瞑想、今度は2ヶ月。サラーでの勉強も板についてきて、ファイヤーとかいろんな道具を使ったものを学ばせてもらった。最後の日に免許皆伝マークをもらう予定が、そこの主が入院のためキャンセルに。ガックリ帰途につく。

1999年。また2ヶ月、一人で行く。前回の成せなかったものを手に入れるぞ!と思い。おかげさまで免許皆伝マークいただきました。長かった。日本人初でござる!

2000年、アメリカ、リノでのワークショップだったと思う。アメリカ人生徒も増えてきて、年2回くらいボブも来るようになった。

2001年くらい。リノでのワークショップの時に日本人からメールが来たと連絡が入る。その人は日本で瞑想を習っているという。びっくり仰天なのだ!その人に連絡を入れ、その人経由で先生に連絡を入れまた日本で瞑想会をすることになっていった。

きっと2002年。またティーチャートレーニングをやることになった。最初からやり直しということで、以前の先生だった人、新たに先生になりたい人も参加。日本からはきっと5−6人かな? アメリカ人10数名。チェンマイの古いアパートをみんなで借りてそこで1ヶ月?1ヶ月半?ほど瞑想三昧。また先生になる! その時はサラーに毎晩行ってみんなもヒーリングを習う。私はもう習ってたので通訳も指導も楽だった。でもみんなはそんな短い期間なのに私は何年もかかった。

2003年、ボブは昔からリトリートセンターをやりたいという夢があったらしい。それをどうしてもやりたい、と言い寄付を募りセンターを始める。日本にツアーで行くたびに私も呼ばれ一緒に道中を共にする。

2004年、日本でのワークショップやタイでのワークショップに呼ばれ嬉しくあちこち行く。そして時々ボブとアメリカ人と日本人の違いについてよく話してた。日本人は感情のワークが必要だねって。それをやろうよ、というと、それは自分の仕事じゃない、ユーがやればいい、と。その時はよくわかってなかった私。

タイでのツアーの時はハワイから出かけていく。そしてセンターもオープンしてたのでコリャー大変だぞ、と感じてたけど、言われなきゃいかないと決めてた。するとタイのツアーの終わりに、ボブが両手で顔を覆い、私に向かって、I need your help. といってきた。1つ返事で決まった。帰ってから引越し準備が始まり結局1年かかった。

2005年、タイ、チェンマイに引越し。前年同様1年間長期瞑想で参加する人がいたのだった。結局1年半くらいになったけど、その人のおかげで私も毎日瞑想、昼は講義、夜は瞑想とヒーリング(この頃はもうセンターでやってた)というスケジュール。昼間は日本の先生たちから送られてくる質問の数々を毎日ボブに翻訳し転送、そしてその逆もここ数年の仕事になっていた。時々日本から先生に連れられてツアーもあった。

とある春の日。朝の瞑想中にことは起こった。今までの私がパリンと剥がれ落ちた瞬間だった。そのことをボブに講義中に報告したら、覚醒おめでとう、と言われた。不思議な感覚だった。今までよりももっと自分を信じないといけないなという直感があった。まるでどれだけ自分を信じられるかのゲームのようと思った。

それから瞑想が変わった。ある経験談を話すと、その日ボブがポロリと涙を流した。僕はこのために今まで瞑想を教えてきたんだ、と。私もやっと空の中の探求が始まった。本当にいろんなものがある。面白くて仕方ない。毎日の経験を話すのが待ち遠しい。そしてそれをヨガスートラオブパタンジャリを読みながら解釈してくれる。難しい本だけど、それを経験してきたボブだから解釈できる言葉だった。私の経験はボブほどじゃないが、それでも嬉しかった。経験した時はそれがなんだかさっぱりわからないけど、解釈を聞くとよーくわかる。あーそういうことだったんだ!って繋がる。そして毎日瞑想に明け暮れてた。目を開けるのがもったいないとも思った時間だった。

しかしボブが日本にツアー行く時は一緒に行くので、瞑想三昧は中断し日本へ。帰ってきたらそそくさに空の中に飛び込んでた。

2006年、いつ頃か覚えてないけど一度ハワイに帰るけどまたトンボ帰り。今度はセンターでの仕事がメインだった。でも瞑想はできる限りやった。日本からのツアーもくるし、メールのやり取り、面白い時間。

2007年頃、タイのセンターが経営難で締めることになった。でもティーチャートレーニングもあるので、パタヤに引っ越す。そこでやるも途中でチェンマイに引き返すことになり、生徒も連れての大引越し大会となる。みんな無事先生になる。

このパタヤにいた時に気がついたことがあった。私たちみんな瞑想をしてて大きな空があると言われてきた。にも関わらず現実の世界を変えることができない。絶対なんかおかしい!なんでもない人が数本立てたタバコを触らずして意のままに倒していったりするのを目撃し、私は絶対これは何かあるはずだと思った。ボブに頼んだ。空とこの現実の世界をつなげるテクニックを出して欲しいと。そしてタラのテクニックが出てきた。

2008-9 年くらい。なんだか雲行きがあやしい。そう感じ始めていたと思うこの頃。予感的中。なんだか私の知らないところで不穏な動きがあり、私の身の危険を察知したボブは私にここから出て行け、といった。一体なんだ?と思ったけどなんとなく感じるものはあったので渋々出た。帰ったハワイに。そして自分に誓った。これからは私とじゃなきゃ仕事したくない、という人たちとじゃないと絶対に仕事はしないぞって。

毎日怒った、泣いた。わけわからずに放り出された感じで初めての空中分解状態。ハワイでの仕事も同じようなことが不思議と起きて私の居場所がなくなった。また怒った、泣いた。いっぱい泣いた。一体なんなんだ!! 私が何をした!!

その頃私にはわからなかった。怒りでいっぱいだったから。でも不思議なことにそんな私に瞑想を教えて欲しいとくる人たちがいた。一体その時期の私のどこに魅力があったのか不思議。ありがたくお仕事させていただきました。それがなかったら死んでたかもしれないくらい私は落ちてた。今まで人生かなりついてた私は人生初のザセツを味わうことになった。しかし時期を同じくして何か新しいことが始まっていってたようだった。

自分でワークショップをはじめていったのもこの頃だった。自分の経験を活かし瞑想だけでなく感情の解放が大切だと思ったのでそれをやり始める。

2014年くらい。久しぶりにボブと会うことになる。その年に癌が発覚し早期発見のため治療もあっという間に終わってたところ。タイに会いにいった。空港に迎えに来てくれた。なんでもその頃ボブが迎えに行くというのはあり得ないことらしく、特別待遇だ、と言われた。私にすればそれまではいつもボブの送迎付きだったから当たり前だったのだ。久しぶりにあったので嬉しそうだった。懐かしくもあった。おまけに先生たちとも久しぶりに会い、知らない顔もたくさんあった。

その冬のこと。家での瞑想中に奇妙な体験をしたのでボブにメールして確認。返事は、おめでとう、啓発したね、だった。あれから約10年を経てやっと定着したのか!長かった。

その時あまりの嬉しさに自撮りしたのがこれ。

その日は午後からリンダ(私の主治医)のセッションが偶然入っていたので、嬉しさ余って報告した。するとなんとまたまた不思議なことが起きた。リンダに報告し、彼女がおめでとうと言った瞬間、私のハートあたりからなんとパフって感じで何かものすごく無色透明なエネルギーの濃いのが出てきて、彼女に向かってグワングワンと動いていった。そしてそれが当たるというか、到達するというかしたら、彼女はのけぞってグラグラし始めた。不安になって大丈夫?と聞いたら、ものすごい気持ちのいいエネルギーに酔いしれてるところよ〜といってた。びっくり仰天!あんなの初めてだった。

2015年、私と仲良しの先生と企画してタイのツアーをやる。ハワイのツアーもやった。色々人に助けてもらいながら少しづつ自分の仕事が始まっていった。

2016年。日本各地、ハワイ、タイ、などでツアーもしながら嬉しそうな日々を過ごす。

2017年。日本語が変だというのに気がついたのと、私と日本の人の感覚がづれているのに気がつき今の日本を知るためにもと思い、日本でエグゼクティブ用のビジネススクールに4ヶ月くらい参加。難しかったのと久しぶりの日本長期滞在で刺激の多い日々だった。ものすごく勉強した。本をいっぱい読んだ。今後のために。

2018年、仕事用に感情の解放で気になってた本を翻訳するが、日本ですでに発売されてた。しかし翻訳内容が違うのでどうしても出したい!と思った。

2019年、その翻訳は無残にも終わった。出版社と連絡取れたけど、改訂版を出す予定もないと言われた。ザーンネン。いよいよ自分で書くしかないのか?と思い始めている今日この頃。

そして今。この数年の自分の仕事をきちんとプロモーションすべく、考えも新たに私がやらないといけないんだ、ということがわかった。いけなくはない。でも私がしなければ他の誰かがやる。それは悔しいし、何よりも、私自身この瞑想に出会ってものすごく成長したし、心の充足感が半端でない。人生を変えてしまう。それをみんなに伝えたい。私のように時間をかける必要はない。しかし続けていくと必ず結果は歴然として現れる。ザセツもあったけど、今はそれも感謝に変わった。おかげで独り立ちすることになったし。私の重い腰を蹴り出してくれたのであったわけで。

スピリチュアルなんて全く興味なかった私が、仕事で出会い、深みにはまり、知らない間にすごいことになってた。この私ができるのだから誰にでもできるはず。そういう思いがある。実は瞑想と二股かけてたハワイでの撮影の仕事も、ものすごくうまくいってた。行き過ぎてねたみ、そねみ、ひがみの三拍子をかってしまったのだった。

意識の拡大とこの肉体の世界との統合を日々やってます。毎日全部大事です。

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